還暦を迎えるお母さんへ
- AKI

- 2020年1月7日
- 読了時間: 6分
更新日:2020年8月26日

「“この話したっけ?“って、口癖だよね。」と、ある時友人に言われた。
確かに、気づけば同じ話を、あらゆる人に相談している。
人の良いところは真似したい。
「そんな考え方があるんだ」とか、
相手に対して純粋に「すごい」と思ったりだとか、
「新しい考え方が知りたい」だとか、結構思う方だ。
就職活動をしていた時にも、
「いろんな人の意見を聞いて、良いところを採って、
Aダッシュ案を作れるのが強みだよね。」
と友人に言われたことがあった。
もしかしたら、私がこんなに相談魔になったのは、
誰にでもオープンな性格の
母の影響を受けているからかもしれない。
人に壁がなく、オープンマインドで、
誰とでもすぐに仲良くなってしまう。
前職で営業をしていた時には、
母から受け継いだそれが、大いに活きた。
ある時、出張に同行した本部長から、
「(君を見ていると)お父さんとお母さんが愛情をかけて育ててくれたのがよくわかる。」
と言われたことがあった。
自分の仕事ぶりを評価してもらったと同時に、
両親が褒められた気がして、何だか嬉しかったのを覚えている。
だけど、その時は、
その言葉の意味を、本当の意味では
理解できていなかったかもしれない、
と今なら思う。
別の友人にも言われたことがある。
「親の愛情をちゃんと受け取って育ってきたことがわかる」って。
暗い、グチャグチャした、ドロドロしたところが見えない。
「だから好き」と言ってくれる人もいる。
本当に痛みのある部分は、
軽率に人には話さないことの方が多い。
例えば
自分の話によって密かに傷つく人が居たり、
気を遣ったりしなければいけなくなるような場では、
打ち明け話はあまりしたくない。
それでも、純粋に友人の幸せを喜べる自分は本当で。
だけどそんな自分の真っ直ぐさが、時に妬みを買うこともある。
もっと汚い部分や黒い部分を出すべきだと、
手を引っ張ろうとする人もいる。
だけど、わたしはわたし。
そっちの世界に行く必要なんて、全然ない。
そう思えた時。
「揺るがない自分」を創ってくれたのは、他でもない
父と母の愛情だったのだと気づく。
中学校1年生の時、
しきりたがり屋で目立っていた私は、
ある女の子グループに目をつけられてしまった。
中学校2年生で、その子たちと同じクラスになった時には、
もう終わりだと思った。
それが何故だか最後はすごく仲良くなって、
周りが拍子抜けする程だった。
だけど当の私は、
何がきっかけで仲良くなったのかすら、
思い出せないのだ。
ターゲットにされていたことには傷ついていたけれど、
恨んではいなかった。
だから、許すとか許さないとか、
そういう考えは、最初からなかった。
攻撃を受けていた時の相手の状態が、
そういう状態であっただけ。
ただそれだけのこと。
めんどくさいことは嫌いだ。
男勝りの母。
”女の子なんだから”と
お姫様みたいに育てる母親も多い中、
サバサバと男らしく育ててもらったと思う。
思えば、母のママ友も
男の子のお母さんが多かった気がする。
小学校1年生の時、
ある男の子に虐められて、
学校に行きたくないと言ったことがあった。
すぐに母が学校に掛け合ってくれて、
席を替えてもらったことがある。
それが何故か
相手の男の子の母親と意気投合し、
結果的に仲良くなってしまった母。
本人同士も仲良くなって、
成人式の時には、それが笑い話になっていた。
中学校3年生まで育った団地。
幼稚園から小学校高学年くらいまで、
母のママ友5〜6組の家族と、
いつも一緒に過ごしていたのを覚えている。
学校から帰って、母がいない時には、
インターフォンも鳴らさずに、誰かしらの家に入れば、
必ず誰かがいて、
そこで一緒に過ごすのが当たり前だった。
今でもつながりのある関係。
こんな環境で幼少期を過ごすことができたのは、
母のオープンな性格が創ってくれた賜物だと思う。
そして、そうやって過ごした時間が、
今日の私を、創っていると思うのだ。
仕事の話をするのが好きだ。
他業種の人も含めて、
この人は何を思って、どんな仕事をしているんだろう?
それを聞いているのが、すごく楽しい。
そして、
あの人とあの人をつなげたら面白いんじゃないかと、
考えたりするのも大好きで、
人が好きで、
関心があって。
この溢れんばかりの人への好奇心は、
母が私にくれた最高のギフトだ。
映画・本、旅行が好きな両親だった。
それが普通だと思っていたけど、
旅行なんて相当な数を
連れて行ってもらっていたんだと、大人になってから気づいた。
銚子のおばあちゃんの家にも、
毎月1回は必ず連れて行ってくれていた。
祖母と頻繁に会って、
その優しさをもらって。お小遣いももらって。
そんな環境を与えてくれたことで、
自然に家族を大切にしようという気持ちが育まれていったように思う。
人と過ごす時間を大切にして、
すぐに誰とでも仲良くなってしまう母。
結婚して銀行員を辞めた母は、
きっと働きに出たかっただろうな、と思う。
それでも母は、私たち姉妹が大人になった今でも、
未だに娘たちのことを、最優先に考えて動いてくれる。
父・母・妹とのグループラインでは、
4人ともが自然に近況を伝え合う。
引越しすることも、体調を崩していることも、
当たり前に報告し合う。
身体を壊して、1週間程仕事を休んだ時。
母はパートの都合をつけて、すぐに駆けつけてくれた。
銚子から3時間以上かけて、
たった一泊して、
数日分の食事の準備をしてくれた。
もし自分が逆の立場だったらと思うと、
片道3時間以上かけてすぐに駆けつけるのって、
本当にすごいことだなと思う。
フットワークの軽さと、偉大な母の愛。
母はフットワークが軽い。
最近英会話も始めたし、かつては、
テニス仲間とよく旅行にも出かけていた。
団地時代、親同士の繋がりは母の役目だったし、
母と違って、
父はそこまで友人と出かけることは多くなかった。
それが今では、父も母のように、
よく友人と出かけるようになった。
お互いに良い影響を与え合っていて、
なんだか二人は、似てきたんじゃないかなと思う。
二人でテレビを見て大笑いしている姿を見て、
いつも楽しそうだな、
そういう夫婦関係っていいなって思っていた。
ある時、夫の実家で二人でテレビを見ていた時、
彼のお義母さんから「あなたたち本当に仲がいいね」
と言われたことがあった。
いつも見ていた二人の後ろ姿と、自分たちが重なる。
友達みたいな夫婦。
理想の形に自ずと近づいていることを感じるたびに、
幸せを噛み締める。
夫のお義母さんも、人が好きなんだな、と思う。
正式な顔合わせの前に、
父と母と祖母が、祖父の喜寿祝いをしたのは、
彼のお義母さんが働く静岡の旅館だった。
私たちカップルを差し置いて、連絡先を交換し、
すっかり意気投合していた2つの家族。
今では母親同士、二人でカラオケデュエット。
ノリノリで踊っている様子を見て、夫が身悶えながら笑っている。
面白いことが大好き。
楽しい話をしていることが大好き。
こんな時間は、最高だ。
もし、私が母親になったら。
母とお義母さんの良いところをそれぞれもらいながら真似したい。
自分の子育て像があるというよりは、
みんなの良い意見をもらいたいし、
みんなで育てたい。
母にしてもらったみたいに、
大勢の中で育つ、ということを経験をさせてあげたい。
積極的におばあちゃんにも会わせてあげるね。
人が好き。
母の性格が与えてくれた環境が、
今の私を創ってくれた。
私にとっての母。
それは、太陽みたいな存在。
いつも笑って、カラッとサバサバ。
明るく楽しい毎日。
大きな大きな、母なる太陽。
今日まで元気で生きてきてくれて
ありがとう。
人が好きで、
楽しいことが大好きで。
何があっても、
自分を見失わないで居れるのは、
愛情をたくさん注いで育ててくれた
あなたのおかげです。





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