越えられぬあなたへ(父への古希祝)長男
- AKI

- 2020年10月21日
- 読了時間: 5分
誰かのために尽くす。
誰かのために立ち振る舞う。
汗をかく。
今の時代、それを煩わしいと感じる人もいるだろう。
なぜ、そんな自己犠牲を払ってまで、それを選択するのか、と。
誰かの役に立つことが、自分の原動力になる。
仕事や家庭のこともこなしながら、請け負っている自治会の仕事。
そんな面倒くさい仕事、しなければいいじゃんという人もいるだろうけれど、
周りは自分よりも年配の方ばかり。そんな人たちが一生懸命やっているのなら。
誰かのためになるのなら、当然やる。
そんな自分になったのは、きっと、父を見てきたからだ。
「利他の精神」
自分のことよりも、常に人のことを考えて行動する。
父は、そんな人だ。
もしも、父が自分と同じ立場なら、
自治会の仕事だって、それだけの形では終わらない。
自分の行動一つで、同居する祖母や家族も見られ方が変わる。
将来、自分と妻が帰った時に、そこにいい形で着地できるか。
おそらく孫の代のことまで思いはせて、立ち振る舞いを考えるだろう。
それは決して打算ではなく、
人と人との助け合い、ぬくもり、絆。
そういうものを大切する優しさが、根底にあって成り立っているのだ。
そういうものが、ないがしろになりつつあるこの時代に、
自己犠牲を払ってまで、人に喜んでもらえることをする。
感謝されたり、求められたり、必要とされたりすることに喜びを感じ
自分に余力があれば、可能な限り人の役に立ちたいと思える。
そんな自分で居られるのは、父のおかげだ。
思えば、製薬会社という職業を選んだのも、
「人の役に立ちたい」という父から受け継いだものがベースにあった。
楽しいことばかりじゃないし、いろんな困難もある。
でも、きっと父もそれを乗り越えて、家族を守ってきたのだ。
嫌なこともあったと思う。大変な仕事もしていたと聞く。
自分が仕事をするようになり、結婚をして、父親になり、子育てをしていく中で、
父もきっと、こうやって同じ道を歩んできたのだと感じている。
それを思うと、やっぱり「ありがとう」と心の底からしみじみと思う。
日常的に伝えているつもりの「ありがとう」の言葉より、
もっともっと、それだけじゃ到底表現しきれない、深く大きな感謝の気持ち。
最近、父に「似てきたね」と言われるのが、すごくうれしい。
だけど、41歳になった今も、まだまだ父を超えられないと感じている。
父だったら、きっとこういう選択をしただろうなとか。
父だったら、きっとこういうふうにすすめただろうなとか。
仕事をしていても、父のことを考えることがある。
あるいは、
これはこういうふうにやらなきゃいけないとか、やるべきだとか。
父が教えてくれたものが、自分の決断を正しい方向に推し進めてくれるのだ。
二人で呑む時、父の言葉には、たくさんのヒントがちりばめられている。
父が最前線でビジネスを展開していた頃とは、今はきっと、時代が違う。
それでも不思議と、父の言葉は、色褪せないのだ。
いつの時代も物事の基本になり得ること、絶対に外せない大切なもの。
そういう普遍的なものを、父はたくさん教えてくれて、見せてくれて、伝えてくれる。
数えきれないほど、たくさん。
「俺にもそんなことがあったよ」と父が応えてくれるたび、
自分と同じくらいの年の頃、同じようなことを経験して、同じようにキャリアを積んできたんだろうなと考える。
そして実際に仕事をしていると、父が話していたような場面に遭遇する。
それは偶然ではなく必然で、
いつだって自分に必要なタイミングで、絶妙なスパイスを調合してくれるのだ。
絶対的な尊敬。
決して越えられない存在。
とにかくかっこいい。
幼少期は怖かった。
時間を守らなかったことを叱られ、ファミコンの線を引きちぎり、たたきつけられたこともあった。だけど、今思えば腑に落ちることばかりだ。履物をそろえる、整理整頓をする。
当たり前のことをちゃんと、教えてくれた。
しつけに厳しく、頑固な九州男児。
だけど、その強いこだわりの中に、
温かさや優しさを、確かに感じるのだ。
他責せず、自分に責任を持つ。
常に自分を律してきちんとしていなければ、自分を通すことなどできない。
ただのわがままに、人はついていかない。
父のもとには、人が集まり、友達も多い。そんなところもあこがれている。
自分からいろんな人に話しかけて、ご縁を大切にし、感謝の気持ちを大切にする。
そんな社交性と、己を律する姿勢を、自分も父から受け継いでいる。
それぞれの場所、それぞれの年代の考え方で、やっていることは違うけれど、
きっと同じ方向を向いている。
話す内容、会話の質、そのレベル感に
確固たる信念をもって歩んできた父の人生が表れている。
年を重ねれば重ねるほど、にじみ出る男としてのかっこよさ。
最近は会うたびに、お互いに年をとっていっているのを感じる。
それは少し寂しくもあるけれど、
そうやって自分というものをもって生きてきたからこそ、
年を重ねるたびに父という人間は、どんどん深みを増していくのだろう。
だから、父には勝てない。
ずっと追いかけ続ける、憧れの存在なのだ。
もし自分が70歳になった時。
3人の子どもたちも、こんなふうに思ってくれるだろうか。
父のように「こんなふうになりたい」と、言ってもらえる父親になれるといい。
幼いころから、仲のいい父と母の姿を見てきた。
おかげで兄弟・妹4人とも、夫婦仲がいい。
定年するまで、「仕事」で家族を支えてくれた父。
母と二人きりの生活になると、役割を変え、母を気遣い、態度で愛情を示している。
いつだって「相手のため」を思う信念が、父の一貫した態度にあらわれている。
帰省した時ぐらい、自分にも何かさせてほしい。
恩返しがしたいのだ。
それなのに、父も母も、ゆっくりしていなさいと、いつも気遣ってくれる。
お互いがお互いを優先しあい、思い合う。
そんな家族が、好きだ。
人を思いやり、優しく、温かなこの父と母が、好きだ。
せめて十分な恩返しができるまで、
ずっと、健康で元気に長生きしてほしい。
それが一番の願いです。





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