越えられぬあなたへ(父への古希祝)長女
- AKI
- 2020年10月21日
- 読了時間: 6分
勝手に留学して、勝手に外国人と結婚した私は、
おそらく4人の中で、一番心配をかけてきた。
だけど、父はどんな時も、どんな私でも、
私を一人の人間として尊重し、認め、見守ってくれていた。
フランス人の夫とその両親は、ありったけのスキンシップと言葉で
私に愛情を表現してくれる。
もし仮に私が、今にも死んでしまいそうなら、彼はきっと自分の命を削ってでも、
私を助けてくれる。自然とそんなふうに思えるほど、
彼もまた、父と同じように強い愛情で、私を守ってくれている。
九州男児。昭和の男。
「大好きだよ、愛してるよ」と抱きしめられたことはないのに、
それなのにどうして、こんなにも、守られている確信を感じることができるのだろう。
例えば、父が酔っぱらってかけてくる電話にも、愛情を感じ取ることができる。
母伝いに、父が私の話をしていたと、聞くこともある。
酔っぱらって、私を思い出して、電話をかけてきてくれること。
それがうれしいのだ。父の中に、いつも私がいることを感じることができるから。
仕事人間だった父。
子育てをしながら仕事に奮闘する私を、気にかけてくれて、
うまくいっているのかと、いつも心配してくれる。
時短で働きながら、仕事量は以前とそんなに変わらない。
だけど、自分から、友達にそういう話を発信するタイプでもないし、
辞めたいとか、子育てや仕事に不満があるとか、そういうのは全然なくて。
思い悩まず、楽観的に考えることができている私がいる。
それでも、父や母、家族の前では、自然と、今の状況を話している私もいる。
わかってもらえている。それだけで、心強い。
留学先からフランス人の恋人を連れて帰ってきた私に、
両親はさぞ驚いたことだろう。
それでも、その直後から、父と母、彼と私、
同じ屋根の下、4人で1か月の時間をともにした。
寝泊まりして、お酒を交わして。
同じ時間を過ごす中で、父は、夫を一人の人間として認め、私を託してくれた。
あの一か月、父は、何を思っていたのだろう。
一人娘が、もしかしたらいつか、フランスに行ってしまうんじゃないかとか、
いろんなことを考えて、不安にもなったかもしれない。
それでも父は、いつだって、私の幸せを第一に考えて、私の決断を許してくれるのだ。
なぜ父が、この人なら大丈夫だと、思ってくれたのか、それはわからない。
だけど、父は、文化が違うとか、フランス人だからとか、そんなことじゃなく、
一人の人間として、彼の人間性と向き合ってくれたのだ。
23歳の時、情熱をもって仕事をする人たちとの出会いに感化され、
もっと広い世界が見てみたいと、思った。
日本の中の、日本人でしかなかった私。
流暢に英語を話し、いろんな国の人とコミュニケーションをとる友人との出会いも、
私の背中を押した。
今がチャンスだ。
思い立ったら即行動。
一度決めたことは最後までやりぬく。
父譲りの頑固さ、我の強さ、自分の意思を貫くこと。
それが、私の人生の景色を大きく変えてくれた。
この経験が私に教えてくれたのは、「〇〇人」というひとくくりの国民性のイメージで、
人をはかることなど、できないということ。
日本人だから消極的、礼儀正しい。必ずしもそうじゃない。それと同じ。
そういうことを、改めて身をもって感じ、自分のコアに取り込むことができたのだ。
優しく、日本人の私に歩み寄ってくれた人たちとの、恵まれた出会いによって。
父は、既にそのことを、知っていたのだ。
国籍で、彼をはかることなど、できないということを。
父は、なんでも知っていて、なんでもできる人だ。
夏休みに作ってくれた竹の籠や釣竿。日曜大工。
職人みたいだった。
凝り性で、こだわるとどんどんこだわっていくタイプ。
今は、レコードにはまっていて、私には詳しいことはよくわからないけど、
今も相変わらず、いろんなことを教えてくれる。
仕事で車の運転をすることになった時、ペーパードライバーの私は、
父を隣に乗せて、運転の練習をした。
父は運転もうまくて、どんなに細い道でも、スイスイいけちゃうのだ。
幼いころの思い出は、なんといってもキャンプだ。
その土地のおいしいものを食べるのが、楽しみだった。
骨組みからテントを立てたり、時間をかけて火をつけたり。
簡単じゃない作業を、力を合わせてやり遂げる経験。そこで生まれる一体感。
そこから深まる関係性。
私がそうしてもらったように、自分の子どもにもそんな経験をたくさんさせてあげたい。
図鑑で見る虫じゃなくて、セミやバッタに直接触れて、自然と戯れる。
今でも身体が覚えているほどのあの時間を、子どもにも与えてあげたい。
父の手から、いろんなものが出来上がっていく。
父が作った実家のポストは、かわいくて、ぬくもりがあって。
父の優しい手から生まれた、いかにも父らしい愛おしいポスト。
威厳のある父だった。
私にだけは優しすぎると、兄や弟からは言われてきたけれど。
曲がったことが大嫌いな父は、父なりの正しさや正義で、
私たちのためを思って厳しくしつけてくれた。理不尽に怒られたことは、一度もない。
私が大人になってから、父がお皿を洗っている姿をみて、衝撃をうけた。
衝撃を受けるほど、父は仕事人間だった。
多感なはずの思春期も、父は単身赴任でそばにいなかった。
だから父のことを遠ざけたり、反抗したい気持ちになったりしたことは、
これまでで一度もない。
孫の顔が見たいとテレビ電話をかけてくる父。
父と我が子がうつる写真には、目じりのさがった穏やかな父がいる。
そんな父の姿を見ることができて、うれしい。
自分もこうやって、父にあやしてもらっていたのだろう。
父をこんな顔にしてあげられる自分になることができたこと。それも誇らしく思う。
陽気なところが似ていると、夫が私に言った。
私自身が幸せで、いつもハッピー!と言っていることが、一番の親孝行だと思う。
そして、孫がまっすぐ純粋に育つ姿を見せていくこと。
差別なく、分け隔てなく、誰とでも仲良くなれるように。
まっすぐのびのびと、他人を思いやる気持ちを持ってほしい。
我が子の名に、そんな願いをこめたのは、
私自身が、人に恵まれ、サポートしてきてもらった人生だったからだ。
困ったときは、誰かが手を差し伸べてくれた。
だから私も、誰かが困っていたら、手を差し伸べたい。
「俺はもう、いつ死んでもよか、よか。」
父のその言葉だけは悲しくて、許せない。
祖母の介護を頑張る父。
自分で決めたことは最後までやり通す。他人を思いやる気持ち。
たとえ自分が倒れても、極限まで、誰かのために尽くす。
それは、美しく、正しいことだけど、父が倒れたらみんな悲しい。祖母だって母だって。
もう十分に示してくれた、教えてくれたから。
頼れる人が周りにいるのに、人に頼らず向き合う姿は、父らしくもあり、だけど寂しくもある。
自分の身体を第一に考えてほしい。
これからはどうか「頼られる喜び」を、私たちに与えてください。
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