越えられぬあなたへ(父への古希祝)次男
- AKI

- 2020年10月21日
- 読了時間: 5分
立ち止まって文句を言うことなど、簡単だ。
“動きながら”文句を言える人は強い。
止まらずに進む。アクションを起こしながら、頭を整理しながら、
行動できる人は、解決が早い。
いい意味で手を抜くことができない。
「もういいや」「じゃあいいや」ではなく、
とりあえずできるところまでいこう。
そうやって真摯に仕事に向き合う毎日。
その手本を背中で示してくれたのは、まぎれもなく父だった。
自分が父親になってみて、父の偉大さにますます感服している。
父は転勤が多かった。
単身赴任の時期もあったからベッタリ一緒にいたという感覚はないけれど、
それでも寂しくはなかった。
夏休みにはキャンプに連れ出してくれて、たくさんの思い出をくれた。
きっと、つらいこともたくさんあったろう。
今、自分がこの年になってみて、そう思う。
嫌なことに頭を下げたり、やりたくないこともしたかもしれない。
兄弟・妹を4人育てることが、いかに大変だったか、今ならわかる。
それでも、子どもたちを私立の学校に通わせて、ひもじい思いをさせず、
塾も習いごともたくさんさせてくれて。
そうやって生活させてくれていた。
「すごい」の一言に尽きる。
頑固な九州男児。
それでも、そんな性格を抑えて、家族のために自制した場面も多かったはずだ。
ひかないところはひかない、ひくべきところはひく。
決して逃げず、できることをやっていく。
パーソナルな自分の考えと「父親」という肩書がついた時の自分では、
制御すべき部分も出てくる。
そうやって、家族のために働いた父の姿は、自分の理想の父親像だ。
父親として恥ずかしいことはしたくない。
父親は、「かっこいい」ものだ。
いつまでも越えることのできない父が、自分にそれを示してくれている。
3人の息子を持った今、彼らを育てることが、面白い。
子育てをしていく中でも、
自分がこのくらいの年の頃「どうしてもらってたっけ」と考えて、
どうすべきかを落とし込むこともある。
ああ、自分もこうやって育ってきたんだ、と思う。
自分が体験したこと、してもらったことを重ねて、
子育てをしながら、自分自身のことがわかっていく。
特に心に決めているのは「否定をしない」ということ。
子どもたちがやってみたい、好き、と思ったことは否定せず、やらせてあげたい。
父と母に育ててもらってよかったなと思うのは、
兄弟・妹みんな、自己肯定感が高いということ。卑屈にならない。
仕事をしていても、子育てをしていても、周りをみると、そうじゃない人もいる。
「自分が好き」と思える人間に育てること。
それは、本当に難しいことだとも思う。
やりたいことを仕事にしてきた分、仕事のことでは心配をかけてきた。
大学受験の浪人中に興味を持った音響の仕事。専門学校に進路変更してたどりついたのは世界的に有名な映画の制作会社。夜は帰ってこない、土日もない。父と母からしてみたら、何をやっているかわからない世界。心配だったことだろう。5年間過ごした世界から、今度は、診療放射線技師を目指して、昼間働きながら夜間の専門学校に。そのあと転職した医療メーカーを含め、父と母にはなじみのない世界だった。
それでも、一度だって自分の決めた道を否定されたことはない。
父と一緒で、一度決めたことは変わらないと思われていただろうから。
そして何より、よく知らない世界だからこそ、ちゃんと聞いて理解しようともしてくれた。
自分自身が何を欲しているのかをしっかり感じて、それをつかみ取るために行動を起こす。
そうやって人生を、自分の手で選び取ってきた自分を、誇らしく思う。
それは、自分の言葉に責任を持つことを教えてくれた両親のもとで、
信頼され、自分自身も自分のことを信頼しながら、のびのびと挑戦することができたからだ。
反省はするけど、後悔はしない。誰のせいにもせず、生きる自分を、好きでいられる。
自分は、母に似た考え方を持っていると感じる部分もある。
父とは、考え方が違うのだろうなと感じる面も、もちろんある。
だけど、その違いに反発心や否定的な感情は生まれない。
ただ違う考え方として、素直に聞き入り、ためになり、ただたださすがだなと思わされる。
だから、その違いが話していて面白くて、何かあったら相談すべき相手は、相変わらず父なのだ。
父は、怖かった。
離れていても、常に父の存在を感じていた。
幼稚園の頃、友達とけんかして負けて帰ってきた自分に、やり返してこいと、父は釣竿を持たせた。
約束を守らなければ、ガツっと強烈に怒られた。怖かった。でも、理不尽なことを言われたことは今までで、一度だってない。
自分が全く同じにできるかといえば、そうじゃないけれど、だからこそ自分にはない「つよさ」を持つ父に、いつまでもかなわぬすごさを感じているのかもしれない。
いつになったら父を超えられるだろう。
自分なりの信念を持ち、仕事も父親業も向き合っている今でさえ、到底父は越えられない。
最初からステージも立場も違う、圧倒的な父という存在。
一人の人間であると同時に、
子どもたちにとって「唯一無二のたった一人の父親」という存在。
いつか越えたい、でも、どこかで勝てることなどない気もしている。
父は、いつまでもその背中を追い続ける理想像であり、目標なのだ。
自分の子どもたちにも、そんなふうに思ってもらえる父親になりたい。
それが、父に追いつき、越えるということなのかもしれない。
それは、きっと、すごくすごく、幸せなことだ。
離れているけれど、これから先も家族のステージが変わってく時の流れの中で、
孫の成長とともに、自分自身の成長も見せていきたい。
そんな姿を見せることが、これまでの感謝を伝えていくことに、なると思うから。
だから、ずっと健康で元気で、追いかけるべき存在でいてください。





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