儚く、強く。
- AKI

- 2020年10月21日
- 読了時間: 13分
人の記憶は儚い。
日常の中で、
気にも留めず見過ごされていくもの。
忘れたくないのに忘れてしまうもの。
人はいつ記憶をなくしてしまうかわからない。
あのしっかり者の祖母が、弱っていく姿を見届けた。
これまで経験してきたこと。
感じてきたこと。
習得してきたこと。誇り。
愛した人。愛されたこと。
その全てが徐々に奪われていく恐怖。
これまでの自分を保てなくなること。
数々の出会いを忘れてしまうこと。
それは現実に起こり得ることだと、
祖母は私に教えてくれた。
だから、
今を大切に生きなさい、と。
自分だって
いつそうなってしまうかわからないという当事者意識。
忘れられていく側のどうすることもできない悲しさ。
それを痛いほど思い知っている私でなければ、
撮れない写真がある。
祖母は私に、
カメラマンとしてこれ以上ないほどの宝物を遺してくれた。
記憶には形がない。
曖昧で、不確かなもの。
触れて、繋ぎ留めて、握りしめておくことのできない
「記憶」というものの前では、
人間そのもの、自分自身の存在さえ
曖昧で、不確かなものに思えてくる。
だから、私が今、
ここに存在しているという証を、遺すように生きたい。
私がいたことを、誰かにちゃんと覚えていてもらいたい。
そのことを渇望している自分がいる。
第一章:振り向けば在る景色
人に喜んでもらえることが好き。
一人一人が唯一無二のかけがえのない存在。
その人が好きなもの、喜んでくれることのためなら、
いくら時間を費やしても、それが私の幸せになる。
深く、深く繋がって
その人の記憶の中に良い思い出として存在していたい。
だから、誤解されることに怯えている自分も居た。
例えば
顔も知らない誰かに否定されることが怖くて、
カメラマンとして必要な自己表現を躊躇っている自分が居た。
合わない人の前で猫をかぶる自分が居た。
価値観の違う相手に「本当の自分」を否定されること。
誤解されたまま誰かの記憶の中に自分が存在していること。
それが怖い、嫌、不快。
だけど今は、少し違う。
少しずつ
自分を丸ごと表現することにチャレンジしようとしている自分がいる。
初対面の人との距離感が変わって、スッと自分を表現できている感覚がある。
それは、
誰に何を言われても
誰にどう思われても
「揺るがない自分」を見つけつつあるから
なのかもしれない。
人に優しく、より心に届くように。
表面じゃなくて、より深いところで。
ずるく自分を守ることを許せず、真正面から誠実に。
そうやって大切な人たちと関係性を築いてきたつもりだった。
自分が何をしたいのか、ちゃんと感じて、
たとえそれが「みんなと同じ道」ではなくても、芯を持って、
自分の進むべき道を見出して生きてきたつもりだった。
それなのに。
家もお金も仕事もない。
やりたいことがあったはずなのに、やってもいない。
そんな自分は好きじゃなかった。
目の前にいる彼が、
違う世界の人みたいに思えた。
自分には縁のない有名な人たちと繋がっていて、
たくさんの人脈があって、尊敬されていて。
釣り合っていない自分が恥ずかしかった。
そんなことは気にせず、
ただの女の子で居ることもできたのに。
でも、
芯ある自分を取り戻したかった。
強く、優しく、人間らしく。
自分を誇って生きたいと思った。
でも、
すぐには全て変わらない。
こんな自分は嫌なのに、こんなもんじゃないのに。
心の声がいくら叫んだところで、
その時の私は、何者でもない。
勝手に卑下して勝手に警戒して。
一番大切な人に本当のことを言えなくなった。
深く、ちゃんと理解し合いたいはずの相手に
自分の表面しか見せられなくなっていた。
悲しくて、情けなくて、もどかしくて、自分が嫌で。
でも、確実に、あの日々の葛藤が、
「今日の私」に向かうためのエンジンになった。
人生が変わり始める時、
日常が大きく揺れ動く。
現状維持を抜け出す機会を
彼は私に与えてくれた。
技術を磨いて、価値を高めて、
自分を生かして生きていく世界を
彼は私に見せてくれた。
だからもう一度、自分を奮い立たせることができた。
他のカメラマンとは違って、
どこかに師事して経験を積んだ素地はない。
だから、
経験しなくちゃ。人の何倍も。
今の私にできることはとにかく撮り続けること。
とにかく場数を踏むことだ。
がむしゃらに撮り続けた。
技術を学びながら、教えてもらいながら。
そして、自分の感性を頼りにして。
そうやって真っ直ぐに自分の道を進んでいたら、
私を見ていてくれる人が居た。
一年前、S N Sを見て憧れていたあの人に
カメラマンとして、出会う機会に導かれた。
一年前、「彼の彼女」として、
会おうと思えば会えたかもしれない憧れの人に
一人の「カメラマン」として、自分の力で会うことができた。
一年前、自分とは違う世界に居ると思っていた憧れの人に
一緒に仕事をして欲しいと、言ってもらうことができた。
ずるいことは自分が自分を許せないし、
不器用すぎて自分を良く見せるテクニックもよくわからない。
でも
ただ真っ直ぐに正直に、自分を生きていれば、
それを認めてくれる人が居る。
なりたい自分になる努力ができたことで、自分を肯定できたこと、
そして、一人の人間として存在を認めてもらえたことが
大きな自信につながった。
その経験が
「揺るがない自分」を確立していくための重要なパーツとなった。
そして今、
次のステージに向かおうとするエネルギーが
私の内側で動き始めている。
それを訴えかけようとする言葉が、次々と溢れ出てくる。
誰かの力になりたい。
役に立ちたい。
心に残る仕事をしたい。
人に喜んでもらいたい。
喜んでいる姿が見たい。
リハビリ施設で働いていた頃と
今でも根本の想いは変わらない。
その想いが、相変わらず私を突き動かしてくれる。
でも、今は、さらにもっと。
自分の写真に
なにか違う価値を見出そうとしている自分がいる。
喜ばれて、必要とされて、
自分が肯定されたり承認されたりすること以上に
届けたいものがある気がしている。
それを言葉に残したいのだ。
それは、きっと「今の私」にしか語れない言葉だと思うから。
涙が溢れてくるほど、こんなに想いは強いのに。
全て取りこぼさないように、大事に握り締めていたいのに。
想いや言葉は、こんなにも儚い。
思い浮かんではすぐに消えてしまう。
だけど、「今の私」が感じていることを、ちゃんと自分の中に取り込んで、
私の一部として未来に持っていきたい。
記憶も言葉も想いも、
気をつけていないとすぐにどこかにいってしまうことを、私は知っているから。
私を創ってくれた人との出会い意味と
大切な写真たちとともに、私はカメラマンとして
次のステージに行く。
第二章:たどり着いた景色
父と母は、私が生まれてきてから
本当にたくさんの写真を残してくれている。
小さい頃の記憶は、覚えていることは少ないけれど、
それでも写真を見返すと急に蘇る映像や匂いや感覚がある。
覚えていないことを教えてもらったり
自分はこんなにも愛されて生きてきたのだと改めて実感したりする。
写真を囲む時間には、
穏やかで優しく愛に溢れた空気が漂う。
写真の力はすごい。
過去の自分と今の自分を同時に満たしてくれるのだから。
その時の思い出や瞬間を
ギュッと一枚に詰め込んでくれて、
ふとした瞬間にまた思い出させてくれて
ほっこり幸せな気持ちになれる。
例えば時間が経って
写真を見返した時には
また新しい何かを感じさせてくれる。
写真に写る当時の自分には気づかなかったことさえ、
気づかせてくれることもある。
撮る人と
撮られる人の構図があるからこそ
セルフ撮影では切り取ることのできない特別な一枚が生まれる。
カメラマンは、
その人自身がマイナスだと思っていることさえ
「そんなあなたも素敵だ」と写真を通して伝えることができる。
写真に写るその人が、
「この瞬間の自分を良いと思ってくれたんだ!」って、
新しく自分の魅力を発見して、心がじんわり温かくなるような
そんな写真を届けたい。
花嫁さんの綺麗な横顔を撮るのが好きだ。
うっとりするほど凛として、美しく、儚く、可愛くてたまらない。
そこにハッとするほどの「美」を見出す自分がいるのは、
私がずっと鼻にコンプレックスを持っていたから。
低くて笑うと膨らむ鼻が、小さい頃からずっと大嫌いだった。
だから、綺麗な横顔は自然と私の視界を魅了した。
その劣等感から生まれた写真を
すごく喜んでくれて、大切にしてくれるお客さんがいる。
そんなことを繰り返しながら、
自分にとってのマイナスが、私を助けてくれるものに変わっていく。
なんてありがたい仕事だろう。
出会った全ての人のおかげで、私はどんどん私を知り、
だんだん私を好きになれるのだから。
嫌いが好きに変わるって、すごいことだ。
そのきっかけは誰かの言葉や出会いかもしれないし、
その人自身が乗り越えた経験かもしれないし、
たった一枚の写真かもしれない。
私は、写真が持つ力の可能性を信じている。
その写真一枚で、
その人の価値観が変わることさえあるかもしれないのだから。
そんな願いを込めてカメラを握る。
そう思うと、
写真は「誰が撮っても同じ」じゃない。
私が美しいと思うものにはきっと、知らず知らずのうちに
私自身の感性や価値観、人生そのものが現れる。
私が撮る写真はきっと、私そのものなのだ。
私のフィルターを通して表現される世界。
私の目、感性、経験、すべてを総動員させて生まれる一枚。
手作りブーケに着目できたのも、
あの時私にお花のトキメキを教えてくれた人との出会いや、
gmgmで吸収した感性、尊敬する人からの刺激、
全てが私に流れ込んで「私の写真」に生まれ変わる。
それを喜んでもらえるなんて。
それをずっとずっと一生の宝物にしてもらえるなんて。
誰かの思い出を刻みながら、
今、ここに私が存在していることの証を、刻んでいる。
写真を見返し思い出話に花が咲くその時に
私というカメラマンの存在を思い出してもらえると嬉しい。
あのカメラマンを選んで、
あの人に撮ってもらったから、
私は「この表情の私」を好きになれたんだったな…とか
あの時人知れず内に秘めて抱え込んでいた思いさえ、
この表情を生み出す大事な要素の一つだったんだ…とか。
そんなふうにマイナスがプラスに変わるような
誰かの背中を押せるような
そんな生き方がしたい。
第三章:未来に描く景色
「これまで」があって「今」がある。
それが真実だと思えるほどの経験を乗り越えてきた自分を
誇りに思いたい。
だけど、
まだまだ揺らぐこともある。
カメラマンとしての経歴にどこか自信を持てずにいるのだ。
それに注意欠陥だし、多動だし、
ギリギリになってからやるし、
遅刻魔だし、すぐ忘れるし、だらしないし。
気をつけても気をつけても繰り返してしまう欠点は、
時に私から自信を奪おうとする。
全てが私だとわかっていても、
気をつけても気をつけてもできない自分を
受け入れられないこともある。
そんな私が、
「どんなあなたでも素敵だ」と誰かの背中を押し、
生きる糧となるような写真を届けたいと願っている。
もっと自分を好きになって
もっと自分らしさを受けとめて
もっと力強く寄り添って、そのメッセージを届けられるようになりたいのだ。
私は今、また新たな「なりたい自分」になるための道の途中にいる。
あのどん底から、自分の力で這い上がってチャンスを掴み取れたこと。
出会った人が私に与えてくれたたくさんの宝物。
いろんな思いを内に秘めて、日々葛藤しながら、
それでも今の私はきっと貪欲に、そこに向かうことができる。
そう思えている。
昔からどこか闇を抱えていそうな人に惹かれる自分がいる。
ちょっと欠落した部分があるような。
そんなところを見ると余計に、もっとそういう部分を知りたいと思う。
見えている部分だけが、その人のすべてではない。
抱えているものを隠して、取り繕ったりもする。
そうすることで自分を保っている場合もあるし、
大切な人に心配をかけまいと笑顔を見せている場合もある。
私もまた
これでもかというほど出来ない自分を思い知りながら、
それでも笑って生きてきた。
元気な子として生きてきた。
だから、
相手の心の奥深くに想いを馳せたい。
見えているもの以上の深さにアクセスしたいという欲求が生まれる。
表面的でないもの。本質。奥深さ。
ちゃんと真っ直ぐ見つめて。
深いところで理解する、認め合う。
そうやってお互いの記憶に刻み合う。
執着とも言えるようなその欲求が
私の写真を人間らしく、血の通ったものにする。
良い時もあれば悪い時もある。
自分という存在は、
いつ崩れるタイミングがやってくるかもわからない、儚いもの。
だからきっと、自分を保つためのものが必要なのだ。
自己信頼と揺らぎの狭間にいる
「今この時の私」でなければ撮れない写真があるのなら。
その葛藤も自己嫌悪も全てが
私の表現を助けてくれるものに変わる。
だから飾らず、自然体に。
自分の弱さも受けとめて。
私も同じだと、寄り添って。
心の底から、
「そんなあなたも素敵だよ」と伝えられる人でいたいから。
自分にもそう言ってあげられる私でいる。
一度きりの人生、最後まで楽しんだもん勝ち!
誰もがそうやって生きることができると、教えてくれた人たちが居た。
「私の人生、私でよかった!」と叫びたくなるほど
ハッピーでポジティブな私のまま、
その人らしい人生を一緒に作ることができたら嬉しい。
人生は、いつ、どこで、誰に、どんな影響を受けるかわからない。
マイナスのようにも思える自分の経歴も、私にしかない個性。
記憶を疑い、存在の証に執着し、深い繋がりを求め、
人一倍感じて、吸収して、意味を見出し、
誰かと同じじゃなくたって、自分の進むべき道を突き進んできた。
どん底の先に幸せがあることを知っていて、
今、この瞬間の全てに意味があることを知っていて、
だけど、それさえも儚いものだと知っている。
理論や技術だけに依存せず、自己満足じゃなくて、
感性をフルに活用して、寄り添って、
人に喜んでもらうためならどんな努力だってできる。
そんな私にしか撮れない写真がある。
出会いが私を創り、私の写真を作る。
そして、
誰かの人生を彩る一つのパーツに生まれ変わる。
そんな最高の仕事に出会えて、幸せ。
でも、この感覚も記憶も、人はそっくりそのままいつまでも
保存するはできないから。
今、この時の臨場感は、今の自分だけがあじわえる特権だから。
だから、この胸が苦しくなるほどの幸せを
もう一度取り出せるようにシャッターをきるのだ。
「大丈夫、大丈夫」と私は写真を通してその人に語りかける。
「全てが必要なことだった」とわかり、
「今を全力で、大切に生きよう」と思えるような。
生きる糧を優しく渡す。
カメラは、そんな私のこれからの生き方を手伝ってくれる。
儚さを写し、強さを遺す。
それは、私にしか出来ないこと。
他の誰でもない私がしなければならないこと。
もし私がそれをしなければ、幸せを渡せない人がいる。
だから、もう怯える必要はどこにもない。
私が出会うべき人に、私を見つけてもらえるように。
今の私は、そう思えるところまで来たのだ。
それは、一瞬前までの私が積み重なって
私にくれた贈り物。
お互いが、今、この瞬間、ここにいることを確かめ合うように
シャッターをきる。
少しでも楽になってもらったり安心してもらったり
今を大切に生きようと思ってもらえたりするような
そんなメッセージを届けられる女性になるために。
カメラが私に教えてくれることを無我夢中でキャッチする。
湧き上がってくる感情と葛藤を大切に。
弱ささえも味方にして。
そんなことを繰り返しながら、人間としても成長できたらいい。
一年後の自分が、その写真を見て
「大丈夫、大丈夫」と自分を抱きしめられるように。
だから、
「今を大切に生きる」を体現する私でいる。





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